AI時代と身体のゆくえ
最近ことばの辞書的あるいは事典的意味をグーグル検索すると、生成AI発達普及のせいか厄介なことにまずAIによる説明が出てくる。AIの準拠する原典の著作権の問題もあるが、内容自体の真偽のほどもこのことに戸惑う一因だ。もちろん膨大な関連のデータベースを踏まえ、ゆるやかに集約したような内容だろうから、大きな外れはなかろうが、データベース自体を根拠の薄い通説や俗説が支配している場合は要注意だ。
一例を挙げる。江戸時代までの日本人の歩き方とされ、明治以降近代化の過程で失われたとされる「ナンバ歩き」を検索すると、AIによる概要説明は「右手と右足を同時に、左手と左足を同時に前に出す、江戸時代などに見られた歩き方」で「体幹をひねらず、腕を振らないのが特徴で、現代の歩き方とは異なる」という。結論から先に言うと、前者の定義は誤りで、後者は正しいようである。ここでいう現代の歩き方とは、「右手と左足を同時に、左手と右足を同時に、それぞれ交互に前に出す」方法(交差歩行)で、これはその都度体幹のひねりを伴うため、それだけ筋肉も使いエネルギーも消費する。それは軍隊や学校体育などでの行進の歩き方であり、いわゆる健康ウォーキングの歩き方でもある。この歩き方は明治以降の富国強兵、殖産興業政策に適した国民の身体づくり、つまり、機敏な軍事行動や工場での機能的労働作業ができるような身体の規格化、標準化が進められる近代化の過程で培われてきたとされる。他方、近年はナンバ歩き、ナンバ走りがあらためて脚光を浴び、武道やスポーツの鍛錬法としても注目されてきた。ナンバ術協会の矢野龍彦の実践解説によればナンバの要点は、体幹をひねらず正面に向けたままで右手、左手は「前に出す」のではなく、どちらかといえば繰り出す足の動きに合わせて左右の手や肩が上下に連動するような歩き方のようである。そこであらためて「本当のナンバ」でグーグル検索すると、再び筆頭にAIによる概要説明が現れ「よく言われる『右手と右足を同時に出す』歩き方は誤解で、正しくは体の中心から手足を連動させる動き」だと説明してくる。要するに同じ生成AIによる説明なのに相互に矛盾した回答が同時に提供されている。
歩くというのは人類にとってはあまりに当たり前の動作であり、日常的に自分の歩き方など振り返ってみることもほとんどない。実は時代の変遷とともに人々の歩き方は変化しうるし、また同時代でも文化差、地域差があるのだが、あまりに自明の日常的営みについて我々はわざわざ記録に残さない傾向がある。したがって、ある時代、ある社会で人が実際どのように歩いていた(いる)のか正確に知るのはなかなか難しい。歩き方のみならず、休息や眠り方、飲食、排便、性行為、出産?分娩、授乳?離乳、身体の手入れ、舞踊やスポーツ等々における身体の使い方は実は意外に多く社会で共有されており、世代を超えて持続するものも少なくない。フランスの人類学者M. モースは「人間がそれぞれの社会で伝統的な態様でその身体を用いる仕方」を身体技法と表現した。また人はさまざまな物質文化を構築しながら世界各地で環境適応してきたので、身体動作は道具(物質文化)と切り離せないことも多く、道具と連動した人の身体技法は道具技法と称される。たとえば、日本のノコギリは手前に引いて切るが、西洋ノコギリは押し出して切るように、道具の形状に合わせた身体の動きがある。他方、裁縫で針に糸を通す時、日本人はごく自然に糸先を針穴に向けて動かすが、フランス人はその逆で、針穴を糸先に向けて動かすという。こちらは道具差というより文化差によるのだろう。いずれにせよ、これら日常の些細な動作はほぼ無意識に反復されており、異文化での技法との差異を知って初めて自覚するものだ。身体技法の比較研究の面白さも価値もそこにある。
ところで、モースは身体技法論の中で自身の悔しかった経験として、第一次世界大戦の従軍でぬかるみや水溜りで休憩した際に、オーストラリア兵(白人)がしゃがみ込むことができたのに対し、自分はそれができないため、ずっと立ち続けねばならなかったことを回想している。これには少し説明が必要であろう。しゃがむ、要するに、蹲踞(そんきょ)の姿勢は日本をはじめアジア地域でも広く日常生活でとられるものである。川田順造は絵画や写真を手がかりに、日本女性は平安末から1960年代以降に洗濯機が普及するまでの長期にわたり一貫してしゃがむ姿勢で洗濯してきたと考察している。比較対照して、フランス女性の、洗濯機が普及する以前の田舎の共同洗濯場での伝統的な洗濯姿は、日本と異なり、ひざまづく、要するに、跪座(きざ)の姿勢であったとしている。ちなみに、川田の調査地であった西アフリカ内陸部での洗濯姿勢は蹲踞でも跪座でもなく、立ったまま上体を腰から曲げて行う直立深前屈が一般的である。さて、モースが悔やんだようにフランス人成人がしゃがめない、蹲踞ができない理由は、どうも幼少時からのしつけの伝統に由来するらしい。フランス人の慣行ではキリスト教の影響もあってか、赤子の四つん這いや「這い這い」を嫌い、赤子のうちから回転アームの吊し具や「赤子鞘」に入れて立たせてきた習慣があり、その結果、蹲踞ができなくなっているようである。ちなみに、労働の身体技法でも、たとえば19世紀フランスのエピナル版画などに描かれるさまざまな職人たちのほとんどが立ったままの「立位」か「高座位」で作業しているのは、蹲踞ができなくなった骨格構造と多少関係があるのかもしれない。
歩き方の問題に戻ろう。最近街中や駅の構内などで人ごみの中を移動していると、人の歩き方が一昔二昔前と比べて遅くなったような気がする。ひとつは間違いなく歩きスマホの人々が圧倒的になっているからである。また、滑車付きのトランクを引きずる人々もやけに増えた。無線のイヤホンを両耳に装着し音楽でも聴いている人々も少なくなく、こういう人たちは進行方向にまっすぐというより、微妙に左右にぶれながら歩いている。さらに最近よく見かけるのは左右の手を前後に振るのではなく、なんと左右に振って歩く姿である。こういう人たちを見ると、従来の交差歩行はもはや学校などでも学習してこなかったのではないかと思えてくる。総じて、身体の近代化のため導入され訓練されてきた交差歩行が現代日本では廃れ始め、歩き方も多様化に向かっているような気がする。考えようによっては平和の証でもあり、内外でどこかキナ臭い風潮も漂い始めている昨今、これはさほど悪いことでもないのかもしれない。
一例を挙げる。江戸時代までの日本人の歩き方とされ、明治以降近代化の過程で失われたとされる「ナンバ歩き」を検索すると、AIによる概要説明は「右手と右足を同時に、左手と左足を同時に前に出す、江戸時代などに見られた歩き方」で「体幹をひねらず、腕を振らないのが特徴で、現代の歩き方とは異なる」という。結論から先に言うと、前者の定義は誤りで、後者は正しいようである。ここでいう現代の歩き方とは、「右手と左足を同時に、左手と右足を同時に、それぞれ交互に前に出す」方法(交差歩行)で、これはその都度体幹のひねりを伴うため、それだけ筋肉も使いエネルギーも消費する。それは軍隊や学校体育などでの行進の歩き方であり、いわゆる健康ウォーキングの歩き方でもある。この歩き方は明治以降の富国強兵、殖産興業政策に適した国民の身体づくり、つまり、機敏な軍事行動や工場での機能的労働作業ができるような身体の規格化、標準化が進められる近代化の過程で培われてきたとされる。他方、近年はナンバ歩き、ナンバ走りがあらためて脚光を浴び、武道やスポーツの鍛錬法としても注目されてきた。ナンバ術協会の矢野龍彦の実践解説によればナンバの要点は、体幹をひねらず正面に向けたままで右手、左手は「前に出す」のではなく、どちらかといえば繰り出す足の動きに合わせて左右の手や肩が上下に連動するような歩き方のようである。そこであらためて「本当のナンバ」でグーグル検索すると、再び筆頭にAIによる概要説明が現れ「よく言われる『右手と右足を同時に出す』歩き方は誤解で、正しくは体の中心から手足を連動させる動き」だと説明してくる。要するに同じ生成AIによる説明なのに相互に矛盾した回答が同時に提供されている。
歩くというのは人類にとってはあまりに当たり前の動作であり、日常的に自分の歩き方など振り返ってみることもほとんどない。実は時代の変遷とともに人々の歩き方は変化しうるし、また同時代でも文化差、地域差があるのだが、あまりに自明の日常的営みについて我々はわざわざ記録に残さない傾向がある。したがって、ある時代、ある社会で人が実際どのように歩いていた(いる)のか正確に知るのはなかなか難しい。歩き方のみならず、休息や眠り方、飲食、排便、性行為、出産?分娩、授乳?離乳、身体の手入れ、舞踊やスポーツ等々における身体の使い方は実は意外に多く社会で共有されており、世代を超えて持続するものも少なくない。フランスの人類学者M. モースは「人間がそれぞれの社会で伝統的な態様でその身体を用いる仕方」を身体技法と表現した。また人はさまざまな物質文化を構築しながら世界各地で環境適応してきたので、身体動作は道具(物質文化)と切り離せないことも多く、道具と連動した人の身体技法は道具技法と称される。たとえば、日本のノコギリは手前に引いて切るが、西洋ノコギリは押し出して切るように、道具の形状に合わせた身体の動きがある。他方、裁縫で針に糸を通す時、日本人はごく自然に糸先を針穴に向けて動かすが、フランス人はその逆で、針穴を糸先に向けて動かすという。こちらは道具差というより文化差によるのだろう。いずれにせよ、これら日常の些細な動作はほぼ無意識に反復されており、異文化での技法との差異を知って初めて自覚するものだ。身体技法の比較研究の面白さも価値もそこにある。
ところで、モースは身体技法論の中で自身の悔しかった経験として、第一次世界大戦の従軍でぬかるみや水溜りで休憩した際に、オーストラリア兵(白人)がしゃがみ込むことができたのに対し、自分はそれができないため、ずっと立ち続けねばならなかったことを回想している。これには少し説明が必要であろう。しゃがむ、要するに、蹲踞(そんきょ)の姿勢は日本をはじめアジア地域でも広く日常生活でとられるものである。川田順造は絵画や写真を手がかりに、日本女性は平安末から1960年代以降に洗濯機が普及するまでの長期にわたり一貫してしゃがむ姿勢で洗濯してきたと考察している。比較対照して、フランス女性の、洗濯機が普及する以前の田舎の共同洗濯場での伝統的な洗濯姿は、日本と異なり、ひざまづく、要するに、跪座(きざ)の姿勢であったとしている。ちなみに、川田の調査地であった西アフリカ内陸部での洗濯姿勢は蹲踞でも跪座でもなく、立ったまま上体を腰から曲げて行う直立深前屈が一般的である。さて、モースが悔やんだようにフランス人成人がしゃがめない、蹲踞ができない理由は、どうも幼少時からのしつけの伝統に由来するらしい。フランス人の慣行ではキリスト教の影響もあってか、赤子の四つん這いや「這い這い」を嫌い、赤子のうちから回転アームの吊し具や「赤子鞘」に入れて立たせてきた習慣があり、その結果、蹲踞ができなくなっているようである。ちなみに、労働の身体技法でも、たとえば19世紀フランスのエピナル版画などに描かれるさまざまな職人たちのほとんどが立ったままの「立位」か「高座位」で作業しているのは、蹲踞ができなくなった骨格構造と多少関係があるのかもしれない。
歩き方の問題に戻ろう。最近街中や駅の構内などで人ごみの中を移動していると、人の歩き方が一昔二昔前と比べて遅くなったような気がする。ひとつは間違いなく歩きスマホの人々が圧倒的になっているからである。また、滑車付きのトランクを引きずる人々もやけに増えた。無線のイヤホンを両耳に装着し音楽でも聴いている人々も少なくなく、こういう人たちは進行方向にまっすぐというより、微妙に左右にぶれながら歩いている。さらに最近よく見かけるのは左右の手を前後に振るのではなく、なんと左右に振って歩く姿である。こういう人たちを見ると、従来の交差歩行はもはや学校などでも学習してこなかったのではないかと思えてくる。総じて、身体の近代化のため導入され訓練されてきた交差歩行が現代日本では廃れ始め、歩き方も多様化に向かっているような気がする。考えようによっては平和の証でもあり、内外でどこかキナ臭い風潮も漂い始めている昨今、これはさほど悪いことでもないのかもしれない。
参考資料:
川田順造「非文字資料による人類文化研究のために」『身体技法?感性?民具の資料化と体系化』pp.3-30, 神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議、2008.
近藤義忠「日本人の身体と生活動作の伝統」『体育史研究』第19号, pp.65-68, 2002.
モース、M. 『社会学と人類学II』(有地亨?山口俊夫共訳)弘文堂、1985.
川田順造「非文字資料による人類文化研究のために」『身体技法?感性?民具の資料化と体系化』pp.3-30, 神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議、2008.
近藤義忠「日本人の身体と生活動作の伝統」『体育史研究』第19号, pp.65-68, 2002.
モース、M. 『社会学と人類学II』(有地亨?山口俊夫共訳)弘文堂、1985.
執筆者紹介

富沢 壽勇
1954年東京都に生れる。1984年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得中退。2002年、博士(学術)。専門は文化人類学、東南アジア地域研究。1984年東京大学教養学部助手。1988年澳门现金网,正规靠谱的彩票app国際関係学部に助教授として着任、教授、学部長、副学長(文系担当)、研究科長を経て、2021年副学長に再度就任。
1954年東京都に生れる。1984年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得中退。2002年、博士(学術)。専門は文化人類学、東南アジア地域研究。1984年東京大学教養学部助手。1988年澳门现金网,正规靠谱的彩票app国際関係学部に助教授として着任、教授、学部長、副学長(文系担当)、研究科長を経て、2021年副学長に再度就任。





